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土砂災害防災のフィールド
ネットワークで繋がろう、広げよう

~言葉はわかりやすく、つくる輪は親しみやすく~

一般の方々に、土砂災害とその対策について理解していただくこと、またその理解を通じて防災意識を醸成・維持していただくことは、簡単なことではありません。私たちが砂防の広報に携わって30年以上、これまでに培った経験と知識を多面的に活かし、様々な活動の支援や資機材の提供を行います。

砂防フィールド
コミュニティ

スタッフの取材記録などを交えつつ、土砂災害を克服してきた各地の活動紹介や情報提供を行っております。
この場を通じて新しい発見や様々な交流が生まれることができれば幸いです。

2012年6月 記事一覧

江戸時代の地すべり対策(松之山)《再訪》

6月18日、新潟県十日町市松之山中尾地区を再度訪れました。江戸時代に造られた可能性の高い川岸に残っているトンネルについての情報収集が目的です。

現在の川と同程度の高さにあるトンネル。雪解けが終わって水量が減っていました。2012.6.18撮影

こちら、上の方にある穴は気になります。この時代の川底は今よりもかなり高い所にあったと思われます。

 

◆昭和32年の請願書
松之山自然休養村センターの図書室へ行ってみました。
「地すべり調査総括書Ⅲ」中頸城地域・東頸城地域(2)偏(1980.9新潟県農林水産部治山課)という資料を見つけました。
中に中尾地すべりが載せられていました。地形地質と地すべりの概要と対策工事について4Pで書かれています。注目点は、昭和32年に中尾集落から提出された「地すべり防止対策についての請願書」の文章が引用されていることです。

「中尾部落は古来多少の地すべりありしも、享保の初期頃大地すべりに会い、住宅を再三移動し現在に至れり。その後といえども中尾川は年々歳々河床を削り、渓谷は深度を増すばかりにて・・・崩潰は止まらず、・・・このままに放置することは中尾部落全体の不幸は申すに及ばず、・・・」
「住民の損害難渋は莫大なる上に、下流に及ぼす影響甚大なる者あり・・・」

また、徳川時代からの地すべり対策工事(第1期工事・第2期工事、内容は堰堤・隧道)の後に、明治時代の第1期から第3期の工事と、昭和23年度工事(いずれも内容は堰堤・隧道)の長さや幅が列記されています。
中尾地区は明治29年にも大きな地すべり移動があったとのことで、トンネルの工事は明治・昭和にも行われたことが分かりました。ただ、時代毎の位置図がなく現場の穴のどれがどの工事なのかはわかりません。数字の一部にミス記載と思われるところもあり疑問は増えてしまいましたが、貴重な情報が得られました。

なお、この請願によってか、平面図には昭和33年から51年と添えられた谷止めの堰堤10基ほどが造られたように記入されています。治山工事と理解しました。

ほか、いくつか、参考になる資料があり、コピーさせていただきました。お世話になった小野塚館長さん、田辺副館長さんにお礼申し上げます。引き続き、このトンネルについてのヒアリングなどを行いたいと思っています。

 

◆大杉と観音堂について
集落の中ほどにあった樹齢1000年の大木、県指定天然記念物に指定されていた大杉で、地元では「亀杉」と呼ばれていましたが、昨年の新潟・福島豪雨の直後に倒れ、直下にあったいわれのある観音堂も巻き込まれて壊れてしまいました。
地元の方々は、口々に何とかならないものかとおっしゃっていたところでしたが、今回行ってみると再建の工事が始まっていました。詳しい状況はわかりませんが、地域を大切にする人の想いの象徴のようで、明るい話題だと感じられました。倒れた杉も何かに形を変えて残るのかどうか、そのあたりも改めてまた次回、情報集めに行きたいと思っています。

再建中の観音堂(2012.6.18)

亀杉の残骸

田倉川と暮らしの会イベント参加報告

平成24年6月2~3日、緑のまぶしい福井県南越前町で開かれた「田倉川と暮らしの会」15周年イベントに参加してきました。砂防マンの間では「アカタン砂防」を見ないと福井に来たことにならない、と言われるそうです。
2日の土曜日の全プログラム、アカタン砂防ハイクと記念集会(講演会と意見交換)・交流会に参加しました。3日の日曜には2グループに分かれて高倉(こうくら)谷川砂防ハイクと砂防施設の草刈り・整備作業が並行して行われ、砂防ハイクに参加しました。

◆アカタン砂防ハイク
現地を案内説明してくださったのは語り部で旧地区の最後の区長であるゴンパ(権八 実)さんです。

◎9号堰堤
最下流の、土でできた砂防堰堤です。
「明治の豪雨で大平(おおびら)が崩れたとき、この谷の裏側の大鶴目谷では60戸が被災し、15人が亡くなった。

アカタンでは崩れた土砂は一旦止まった。炭を焼いている人が上を見に行った時、ゴウゴウと土砂が出てくる音が聞こえ、急いで山伝いに帰った。雨が上がってから土砂はゆっくりと出た。古木集落では木を切って水はねを造り、夜中も炊き出しをしながら守った。土砂は谷を埋めて止まった。20万立方mという膨大な量で、二次災害の危険があったため、福井県の1期工事に入れられた。」と。
ゴンパさんが子供の頃は写真の田んぼの場所は池だったとのことです。(上流からの写真で、田んぼの先に横一文字に見えているのが9号堰堤。)

◎8号堰堤
流域最大の砂防堰堤で、土で造られ、長さは100m以上。水は左岸側(写真の奥)を流れるようになっています。人が歩いているところが堰堤で、発見当時は全体にたくさんの木が生えていて、取り除くときに、1本だけ残した木が写真の真ん中の木だそうです。下の段は昭和30年頃に追加されたとのことでした。
堰堤天端までは間伐材チップの散策路や手作りの橋、階段などが整備されていました。

◎奥の東堰堤(7号)
石積みの砂防堰堤としては最下流にあり、上部(天端)が曲線になっているのが特徴です。使っている石は流れてきた現場の石で、水通しは岩盤のある右岸側に造られています。表面だけでなく堤体内部もガラ石でできていて、大水の時には水が通る構造になっているとのことでした。

◎松ヶ端(まつがはな)堰堤(6号)
アカタンの石積み堰堤の中で一番大きな石が使われている見応えのある堰堤です。脇には階段が整備されていますが、石積みを登る人もいました。

◎大平中堰堤
谷の合流部にあり、山が迫った複雑な地形です。左岸側に岩盤があり、右岸側に石積みで堰堤を造り、水が岩盤の上を流れるようにしてあります。
下の写真は石積み部分の上に乗ったところです。時間の都合、残念ながら今回のハイクはここまでで折り返しとなりました。

◆高倉谷川砂防ハイク
翌朝もさわやかな晴天に恵まれ、開会挨拶です。
南越前町役場職員の方々や砂防ボランティアさん達は草刈りの準備をして集合していました。

高倉谷川は瀬戸集落のみなさんが「高倉谷川砂防堰堤の会」をつくって発掘や整備をしています。会の伊藤武夫さんが案内と説明をして下さいました。
「もとは草茫々だった。探すと石積み堰堤はいくら行っても続いていた。アブのいない時期を選んで、一人でぼちぼち整備を始めた。平成17年度に会員を募り、会を立ち上げた。12人が会員になった。」とのこと。

高倉谷川流域の砂防施設については、いただいた資料に詳しく書かれていますので、ご覧下さい。

◇高倉谷の石積み砂防資料
https://www.sabopc.or.jp/blogimage/takakuratani01.pdf

◎西高倉1号砂防堰堤
自然の地形を利用し、2m近くの巨礫を積み上げた、荘厳な感じを受ける砂防堰堤です。アカタンにはない記念碑が高倉谷川流域の2個所に残っていますが、その1つがこの堰堤の左袖の上にあります。

◎谷中(たんなか)堰堤
林道から見やすい位置にありました。
上部で水みちを3本に分けてあり、自然の滝のようです。

◎大成口堰堤
豪雪で倒れた木がおい被さって、自然の荒々しさを見せていました。

◎立成1号堰堤
庭園のような流れを演出してあります。自然の理に叶った設計なのでしょうが、どのようにして造られたのか、不思議です。

◎立成2号堰堤
ここにはもう一つの記念碑がありました。
高倉川流域には12基の石積み堰堤があるとのことですが、今回のハイクはここまでとなりました。
明治時代の知恵と技術の高さに圧倒される砂防ハイクでした。

◆イベントを終えて-村人が宝物-
イベント企画者の環境文化研究所の田中保士さんは言います。
「限界集落と言われているが、村人は大切な山を保全している水源集落だと誇りを持っている。さまざまな体験から生きる技をたくさん身につけている。訪れる人は村人に魅力を感じ、山村への関心を高める。村人は歴史的砂防施設とともに、かけがえのない貴い資源」と。
晴れ晴れした表情で地域を語る地元のみなさんの熱い心に接し、元気をいただいて、「この人達こそ地域を越えて日本の宝物だ」と実感しました。
皆さん、どうぞいつまでもお元気で地域自慢を続けてください。

開会挨拶をする田倉川と暮らしの会会長キヨモンさん(伊藤喜右エ門)

 

アカタンの現地説明をするゴンパさん(権八 実)

 

高倉川の現地説明をする伊藤武夫さん

 

環境文化研究所の田中保士さん(右)会事務局の大塚與士雄さん(左)

報告 田倉川と暮らしの会15周年記念   アカタン砂防交流会

◆アカタン砂防
アカタン砂防は、福井県南越前町(旧今庄町)古木地区に位置し、九頭竜川支流日野川の支川である赤谷川流域に点在する歴史的砂防えん堤群です。


より大きな地図で 赤谷川 アカタン砂防堰堤 を表示

明治28年から30年にかけて繰り返された大雨によって赤谷川上流の大平(おおびら)が崩れ、土砂が山津波となって谷に押し出し、大災害となりました。そこで福井県が第1期砂防事業の1つとして明治33年度に対策工事に着手しました。
多くの住民が集まり、技術者の指導のもと女性や子供も参加して1日に200~300人が働き、7年をかけた大事業によって2基の土えん堤と7基の石積み砂防えん堤を築造しました。アカタン砂防えん堤群は100年以上経過した今も地域を守っています。

◆アカタン砂防を紹介するホームページ
◇南越前町商工会-アカタン砂防えん堤-文化庁の登録有形文化財
http://www.minamiechizen.syokokai.com/500/002_2post_63.html
◇日本の土木遺産 アカタン砂防
http://www.jcca.or.jp/dobokuisan/japan/hokuriku/akatan.html
◇アカタン砂防堰堤群動画
http://fukui100kei.dogaclip.com/kanko/Profile-100000126.html
◆「田倉川と暮らしの会」について
大災害から100年を過ぎ、当時造られた砂防施設は土砂や樹木に覆われ、忘れられていました。しかし、古老達が当時のことを記憶していました。そこで現地調査を行って砂防えん堤の存在を確認し、専門家や国交省の人に値打ちがあるものなのか、見てもらいました。
ミュージアムの拠点としている「リトリートたくら」は、農水省の地域活性化補助金の最後の時期につくられましたが、客をリピーターにするにはどうすればよいかと悩んでいたところでした。その時、「昔のえん堤があるんじゃないか」ということになり、客に見てもらおうと、生い茂っていた樹木などを取り除いたところ、次々と立派な砂防えん堤の姿が現れました。えん堤は9基あり、県からは文化財にという話が来て登録されました。そうして多くの人が訪れるようになりました。
「田倉川と暮らしの会」は、田倉川と地域の民俗文化の魅力を発掘し、川づくり、流域づくりを考え体験することで、地域の人と都市の人が自然の中で交流・共生していくことを目指して発足しました。そして、行政や専門家との良い関係をつくりながら、「アカタン砂防エコミュージアム」などの活動を続け、今年は15周年をむかえました。そこで、記念として「アカタン砂防交流会」を開きました。
当日は約50名の方に参加いただきました。交流会の成果をこれからの活動につないでいきたいと思います。

◇案内チラシ《PDF》
https://www.sabopc.or.jp/blogimage/akatan15year.pdf

◇田倉川と暮らしの会・活動をふり返る《PDF》
https://www.sabopc.or.jp/blogimage/takuragawalife.pdf

◆アカタン砂防ハイク(平成24年6月2日午後)
さわやかな晴天に恵まれ、参加者・スタッフ約30名がリトリートたくら前に集合し、9号えん堤から大平中えん堤まで約1時間半の砂防ハイクを行いました。

出発式

現地では地元の語り部が説明を行いました。

奥の東えん堤

 

◆記念集会
アカタン砂防ハイクに続いて、出前講座です。
「エコミュージアムがめざすもの」と題して、日本エコミュージアム研究会理事の笹谷康之先生にお話しいただきました。
エコミュージアムとは何か、先進地の事例、土砂災害は耕地を生み人を引き寄せるものであること、砂防地域もエコミュージアムになること、伝統工法による自然豊かな景観は地域資源として大切にすべきことなど、参考となる話題をたくさんいただくことができました。

日本エコミュージアム研究会理事 笹谷康之さん

その後は、シンポジウム形式の意見交換会です。
元京都大学防災研究所澤田豊明先生を座長に、講演者の笹谷先生、牛伏鉢伏友の会の加藤会長、国交省福井河川国道事務所の岩下所長、福井県砂防防災課の脇本課長、当会の伊藤を含めた6名と関係者・参加者でこれからの活動などについて意見交換を行い、エコミュージアムの全国大会をこの地で開く案などを今後考えていくことになりました。

◆高倉谷川砂防ハイク(6月3日午前)
高倉(こうくら)谷川は赤谷川の上流で田倉川に合流しています。アカタンとともに明治28年の豪雨で被災し、同じ時期に多くの石積み砂防施設が造られました。それらはアカタン同様に植物に覆われていましたが、瀬戸集落住民を中心に「高倉谷川砂防堰堤の会」を立ち上げて、発掘整備を行っています。ハイクでは5個所の石積みえん堤を案内しました。
山中にはまだ多くの石積みえん堤があり。これからも整備を続けて、皆さんに見ていただきたいと考えています。

◇高倉谷川砂防堰堤について
https://www.sabopc.or.jp/blogimage/takakuratani01.pdf

谷中(たんなか)砂防堰堤

「田倉川と暮らしの会」会長 伊藤喜右ヱ門

鎌倉沢川視察報告2012.5.14

◆鎌倉沢川の砂防施設について
鎌倉沢川は、魚沼丘陵から流れ出して、魚野川に合流する、延長4kmほどの川です。
平成23年7月末、新潟・福島豪雨によって、魚沼丘陵では山崩れが多発しました。
鎌倉沢川には昭和の初期、石積みの砂防堰堤群が造られていたため、上流部の荒廃による下流部への被害はかなり軽減されました。
砂防施設が造られた所以はそばに建てられている砂防碑(石碑)に書かれています。

◇砂防に関する石碑~碑文が語る土砂災害との闘いの歴史~
http://blog.livedoor.jp/spc_mapping/archives/118086.html

この石積み堰堤群は新潟県でも初期に、赤木正男の指導によって設計された記録があり、歴史的に貴重なものですが、新潟・福島豪雨のためにいくつかの砂防堰堤が大きな被害を受けました。
以上の状況は映像にまとめています。

◇地すべり地の歴史を訪ねて

平成23年から24年の冬は豪雪となり、雪質もかなり重い雪と聞いていました。新潟県内では上越市や小千谷市で融雪災害が起きていたため、鎌倉沢川の損傷した砂防施設の雪解け状況が気がかりだったところへ、地元の方からかなりひどいことになっているという連絡を受けました。
そこで、現地に行ってみることにしました。
写真と動画で記録をしましたので、その主なものを掲載して報告します。
なお、管轄する新潟県は、文化財にもなり得る砂防施設であることに配慮して復旧計画を進めているそうです。これからの雨の季節、目が離せない状況です。

◇鎌倉沢川被災状況

◇子持沢被災状況

1号堰堤付近 基幹の1号堰堤は健在ですが、渓岸の崩壊が広がっていました。

1号堰堤下流の状況

 

2号堰堤付近、下流向き

道路の状況

底抜けになっていた4号堰堤(上流側から撮影)

子持沢の橋付近

道路から子持沢上流を見る。倒木は流れ出し、侵食が進んだようです。

子持沢源頭部

上の田んぼ。欠け落ちていました。

杉林の湧水

子持沢右岸の杉林付近は多くの地割れができ、水が入らないようにブルーシートで応急手当がされていました。湧き水などの流れもシートで誘導されていました。

以上(K.Y)

板倉地すべり資料館訪問記

6月1日、新潟県上越市の板倉地区を訊ねました。
例年より遅れて雪が消え、田植えがやっとほぼ終わったという丈ヶ山(たけのやま)周辺では、農家の庭などにアヤメが色鮮やかです。

 

◆地すべり資料館
丈ヶ山(たけのやま)の山すそに、板倉区猿供養寺地区に地すべり資料館があります。この資料館は、平成4年10月に“猿供養寺地すべりの観測”、“地すべりに関する資料の保管・展示”・“地すべり災害への意識啓発”の3つを主な目的として、地すべり地の上につくられ、全国初の本格的な地すべり資料館として注目されました。
それから20年近くを経て老朽化が進み、来館者も減っていたことから、平成11年11月11日に“子供たちの防災学習に役立つ資料館”としてリニューアルオープンしたものです。

◇資料館を紹介する上越市のホームページはこちら
http://www.city.joetsu.niigata.jp/soshiki/itakura-ku/itakura-ss-05.html

 

◆リニューアルから半年を過ぎた資料館
館内展示の説明は新潟県ホームページに載せられています。
http://www.pref.niigata.lg.jp/jouetsu_sabou/museum.html

◇猿供養寺砂防フィールドミュージアムパンフレット
https://www.sabopc.or.jp/images/sarukuyou/panf.pdf

子供たちが学習成果をまとめた展示もたくさん貼られていて、利用が進んでいることがわかりました。

 

◆ここも注目
人柱供養堂のそばの、すべり止めのお札などを置いていた売店もリニューアルされて、地すべり伝説と謎に満ちたサルの伝説の展示場所になっていました。ご来館のときには、こちらも是非ご覧あれ。ボタンを押すとナレーションが流れます。



 

◆地元の方にお聞きしました
資料館の管理人の一人でもある、「寺野の歴史を語る会」会長の三浦栄一さん(写真右)と安原義一さん(写真左)にお聞きしたところ、リニューアルはタイミングも内容も良かったと感じているとのこと。
特に、地すべり資料館にほど近い上越市板倉区国川(こくがわ)地区で融雪地すべり災害が起きて全国に報道されてから、視察や見学の人が多いそうです。
自然散策や温泉(近くに地すべり対策の砂防工事で出た温泉(しかも2つの違った温泉を引いている)もあるので、たくさんのお客さんにきていただきたいとのことでした。

◇2種類の泉質でくつろげる、ゑしんの里 やすらぎ荘
http://yasuragisou.com/

◇散策は、猿供養寺砂防フィールドミュージアムパンフレット
https://www.sabopc.or.jp/images/sarukuyou/panf.pdf

◇おいしい蕎麦は、そば処いたくら亭
http://www.esinni.com/itakura

 

5/21、ついに金環日食を見た!

この日は6時過ぎに出勤したところすでに2人がバリバリ仕事をしていた。日食を見に行かないと言う2人をおいて、当センター目前の隅田川に架かる清洲橋から撮影しようと出かけたらご覧のような(写真)人だかり、朝から2度びっくりした日であった。肝心の金環日食は、フィルターを着けず撮れた奇跡の1枚となった。

以上〈K.Y〉

5/14、美しき山古志(新潟県長岡市)

◆本日のベストショット
震災の谷(山古志トンネルの横)の向こうに棚田越しの越後三山が見えた。越後駒ヶ岳(左)・中ノ岳(中央)・八海山(右)、雪がとけて草木が鬱蒼とする前のほんのわずかなこの時期、いろいろなモノが見えてくる。絶景と感動、そして仕事のアイデアは涌く・・・か

◆山古志で幻のサクラを愛でる
新潟県長岡市山古志支所の裏に大事に育てられている「八重山古志」が満開であった。この桜は、新潟県中越地震(04年10月)で消滅したと考えられていた新種の桜を、園芸愛好家らの間で栽培され震災から4年後に旧村全505世帯に苗が寄贈されたという。復興で努力し続けているこの地域が、幻のサクラの並木に観光客が埋めつくす姿を想像しながら砂防施設の現況を見て廻った。天気も心も快晴であった。

以上〈K.Y〉

松之山の江戸時代の地すべり対策隧道が現存!

《新潟県十日町市松之山エリア》

新潟県十日町市、松之山エリア(旧松之山町)は、日本三大薬湯松之山温泉で知られ、古くからの歴史のある山里です。地すべりと共生してきた地でもあります。
地すべりを止めるために人柱になったモクベエさんの伝説も伝わります。


大きな地図で見る

《中尾地区》

中尾地区は松之山エリアの南部に位置して、中尾川に向かう地すべり地形を成し、斜面に棚田が広がり家々が点在しています。
東日本大震災と連動するように発生した栄村大震災(長野・新潟県境、最大震度6強の地震)で中尾地区にも大きな被害が出たそうです。そこに新潟・福島豪雨とこの春の融雪による土砂災害が重なり、文化財が破壊され、26戸あった住宅が16戸に減ってしまいました。現在も避難生活をされている方があるとのことでした。

 

《大伴家持ゆかりの地》  

中尾地区は、謡曲や長唄によって全国に紹介されている「松山鏡」の発祥の地とされています。
伝説によると――
“「万葉集」の歌人大伴家持が、蝦夷征伐失敗の罪で追われ、この地に隠棲した。やがて土地の女との間に京子という娘を授かる。しかし母親は病で亡くなり、京子は継母となった女に折檻される。母の形見の鏡を胸に抱き池の畔で泣いていた京子は、鏡のような水面に悲しげな母の姿を見た。そして、それが自分の姿とも知らずに「お母さん!」と叫びながら池に飛び込んでしまう。いつしかその池は「鏡ヶ池」と呼ばれるようになった。” (十日町市松之山・浦田地域ポータルサイトから抜粋)
鏡ヶ池は長い間に数度の地すべりのため変容し、様子を変えてしまいましたが、「松山鏡」を後世に伝えるため、昭和61年に「鏡ヶ池公園」として造成されています。

 

《歴史的な地すべり対策 》 

中尾地区には特筆すべき歴史がもう一つあります。“新潟の地すべり98”という本に次のように記されています。
「天保元年(1830年)に中尾集落を中尾川に押し流す地すべりが発生し、約50戸の人家が壊滅した。地元民は惣代利平の指揮のもとに団結して復興に取り組むとともに、自力で地すべり再発防止のための工事を行った。中尾川対岸の岩盤中(西山層砂岩)に捷水隧道を掘削し、この中に川水を通して、河床の洗掘低下による地すべり誘発の防止や土堰堤を築造する等、天保時代としては驚異的な高度な工法を創造している。
また、人家や土蔵の周囲にも松丸太による杭打工を行っており、これらの工法は明治時代にも引き継がれて行われた。」
“日本砂防誌”には、その隧道の一部が現存すると書かれていました。

図と表は“新潟の地すべり98”より

 

《現地調査》  

そこで、松之山エリア在住で地域づくりを引っ張ってこられた相沢さんにお話ししたところ、中尾地区で心当たりの方があるので、一緒に見にいこうということになりました。
5月23日、雪解けで草が生い茂る前の、一年で一番現場を確認しやすい時期に行ってみました。
まず、川に最も近い住宅(屋号吉池)の高橋平八郎さんにお聞きしてみようということになりました。松之山町会議員を長くお務めになった高橋さんの話によると、2代前、お祖父さんの名前が利平さんだったそうです。地すべり対策工事の中心人物と同じお名前です。年代が違うので代々お名前を継いできたのかも知れません。
その後、長靴に履き替えて川へと下りました。

右から中尾地区の樋口一次さん、高橋平八郎さん、小谷地区の相沢正平さん、地域起こし協力隊の森山克弘さん

川に近づくともう洞穴が見えてきました。天保時代の隧道と思われます。現在の川より5mほど高い位置にあります。

川にはまだ残雪がありました。すぐ上流では地震と融雪が原因と見られる崩壊が発生し、対策工事が始まっています。

さっきの隧道より数十メートル上流で川とほぼ同じ高さに、別の隧道がありました。 雪と土砂で川底が上がっているため、水は大部分がこの隧道を流れています。これがなければ土砂ダムになっていたかもしれません。

どこまで行けるか興味は湧きましたが、今回は奥まで入ることは断念しました。

横壁にも穴があり、浸食が進む懸念があります。 大切な地域の歴史の証拠ですから、映像で記録を残し、継承すべきと思いました。

 

《今後の課題》  

この隧道の存在は2つの本に書かれていましたが、詳しいことがわかりません。出典資料の古文書などを探して確認し、地域の皆さんにも地すべり対策を行った先人のことを知って伝えていただくようにお手伝いが必要と感じました。
また、現場の詳しい調査や必要に応じて保護なども検討するべきではないかと思いました。
なお、江戸時代に地すべり対策でつくられた隧道は南魚沼市後山にもあります。

◆『米どころ後山の昔をたどる』〔9分55秒〕

以上(NK)

丈ケ山(たけのやま)ファンクラブ

「寺野の歴史を語る会」は、「丈ケ山ファンクラブ」と改名されました。
https://sanahiro2.wixsite.com/takenoyama
takenoyama

◆はじめに
私は「寺野の歴史を語る会」の会長です。6月1日からは板倉地すべり資料館の館長を申しつかりました。
リニューアルされた板倉地すべり資料館が好評です。
猿供養寺へどうぞお越し下さい。

◇資料館を紹介する上越市のホームページ
http://www.city.joetsu.niigata.jp/soshiki/itakura-ku/itakura-ss-05.html

◇展示内容等を紹介する新潟県ホームページ
http://www.pref.niigata.lg.jp/jouetsu_sabou/museum.html

 

◆地すべり資料館
リニューアルされて、子供向けのわかりやすい展示になりました。
学校や集団の視察には、新潟県妙高砂防事務所の職員の方が来て詳しく解説します。
昨年11月のオープニング後は、雪の積もった冬場も学校の子供達の見学が多くありました。
大人の来館者も増え、工夫を凝らした手作りの展示を熱心に見ています。
5月29日には泉田新潟県知事が来館され、予定では滞在時間20分の所、1時間ほどかけて、映像や実験などを熱心にご覧になっていました。

 

◆「寺野の歴史を語る会」と丈ヶ山(たけのやま)の整備
猿供養寺集落の背後に、山頂から麓にかけて、樹木の生えていない奇妙な小高い山が見えます。
この山が標高571.6mの丈ヶ山(たけのやま)です。

丈ヶ山と猿供養寺地すべり

丈ヶ山からの眺望

 

昔々、この地域は山寺三千坊と言われ、5つのお寺が周辺にあったと言われています。あ
「寺野の歴史を語る会」は、上越市板倉区寺野地区のくらしや地すべりに関する言い伝えと、謎に包まれた歴史にロマンを感じ、楽しみながら謎に迫っていこうと、平成16年に発足しました。
発足後、「一度くらい丈ヶ山の山頂に登り、山頂から自分たちの住む集落を眺めてみたい」という話が持ち上がり、会員数人で山頂を目指しました。
その時は竹藪と雑木が生い茂り、とても下界を見下ろすという状況ではありませんでした。
竹藪を2年がかりで刈り取ったところ、山頂からの眺めはすばらしく、妙高山・高田平野・日本海の大パノラマが満喫でき、県内県外の人たちにも素晴らしい眺めを紹介したいということになり、登山道の整備を始めました。

この冬は大雪で、しかも例年にない重い雪だったため多くの木が折れ、雪消えも遅く、丈ヶ山周辺散策道での倒木の片付けにはかなり時間がかかりそうですが、がんばって取り組みます。
登山ルートは3本あり、一歩一歩整備を進めています。今年は林道ルートの山頂近くの駐車場整備(できれば舗装など)や駐車場から山頂までの階段整備をしたいと考えています。(写真は昨年のスナップです。)

 

◆猿供養寺砂防フィールドミュージアム
歴史ある寺野地区ですが、くらしも文化も「地すべり」という自然がさまざまな形で関わっています。
土地の自然、暮らしぶり、防災の知恵、歴史文化などがまるごと野外博物館の展示物として、地域振興と防災に役立てようという考えが、猿供養寺砂防フィールドミュージアムです。

地すべり資料館と人柱供養堂

昨年の地すべり資料館リニューアルに合わせ、NPO法人砂防広報センターの協力によって、パンフレットができあがりました。

◇猿供養寺砂防フィールドミュージアムパンフレット
https://www.sabopc.or.jp/images/sarukuyou/panf.pdf

今年は人柱供養堂のパンフレットを作りたいと考えています。