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エッセイスト (当センター理事) 山田 美也子 |
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| 初夏のロンドンは、豊かな緑のなかに色とりどりの花々が咲き乱れる一年で最も美しい季節です。時折雨雲が空を覆い、静かな雨をもたらしますが、それを日常的に『シャワー』と呼ぶ英国人はフード付のジャケットを羽織るか、華奢な折畳み傘をしばし差して歩くだけ。濡れた歩道が、やがて射し込んできた柔らかな陽の光にキラキラと反射する頃、水分を含んだ草木は幸せそうに輝いて風に揺れ始めます。 大地震の怖れもなく、大雨や台風や、それらに伴う恐ろしい自然災害の実感もないこの街で夏休みを過ごしながら、私は、つい先日、地上3000mの上空から2時間近くにわたって身を硬くしながら見続けた、北アルプスの「崩れ」の生々しい姿を思い出していました。 下界で見る美観とは別世界の『崩れ』の現実 6月はじめに訪れた信州はこの冬の大雪もすっかり解けて、清々しい新緑に包まれていました。松本市内で行われた「平成十八年度土砂災害防止月間講習会」に招かれた私は、『砂防・心優しき男たちの世界』という題でスピーチをさせていただきました。講習会では、国土交通省河川局砂防部砂防計画課長・中野泰雄さんの『砂防事業の現状と課題』という講演があり、「災害が起りやすい国土の条件」をさまざまなデータや過去の事実に基づいて伺い、我が国の自然条件の厳しさを強く実感したのです。加えて地震発生の確率とそれに伴う自然災害の可能性を知るにいたっては、生来ノンビリ屋の私でさえ(こりゃ大変ダ!)と思わず緊張し、日本の砂防事業の重要性を改めて考える機会となりました。 とは云え、ジャーナリストの端くれとしては(だからといって、コンクリートの固まりのような巨大な砂防堰堤が自然環境のなかに多数必要なのだろうか?)という疑問はまだ拭えません。その日見学したばかりの「有形文化財・牛伏川フランス式階段工」の美しい意匠を思い出しながら(あんなふうに優雅なデザインなら好いのに…)とも思案していました。 さて翌朝、一重ケ根ヘリポートを飛び発った国土交通省防災ヘリコプター「北陸号」は、水蒸気を吹き上げる焼岳頂上に私を運んでいきました。間近で見る焼岳の恐ろしい形相!崩壊し続ける赤茶けた山肌は、下界で見る上高地の美観とは別世界の「崩れ」の現実を曝け出しています。(年々河床上昇する梓川、そして埋まり往く大正池、その元凶がここにあるのか…)自然の脅威に驚くばかりです。有形文化財・釜が淵上流ダムをはじめ、さまざまな砂防施設が、そのリスクを必死に押さえ続けているのが現状なのです。 上高地は日本有数の観光地なので、砂防工事は閉山後の厳寒期に行われるとか。零下25度での現場作業は、どんなに辛く困難なことでしょう。 |
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| 稗田山崩壊地を上流から望む(提供:松本砂防事務所) |
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![]() 稗田山崩壊地を下流から望む (提供:松本砂防事務所) ![]() 焼岳と大正池(提供:松本砂防事務所) |
ホラー映画を見ているかのような心境に さて、梓川上流域からは、槍ヶ岳、高瀬ダムを経て、翌日の下見の為、立山上空を旋回しました。なんと!ここでも、恐ろしい崩壊が起っています。富山平野に至る常願寺川の水源部・立山カルデラは、パックリとその白っぽい口を開けたまま「崩れ」の様相を無防備に晒しています。(なんと恐ろしい光景だ…)心の動揺とともに、身体がだんだん硬くなっていくのがわかります。まるで、ホラー映画を見ているかのような心境になってきました。 私は、日本の自然の至宝ともいえる北アルプスの現実を知らなかったのです。やがてヘリコプターは、黒部湖、十字峡、青木湖を経て、松川を辿り、雲に霞んだ白馬岳を近景に眺めつつ、金山沢に至りました。なんと今度は、碑田山崩壊現場が眼前に現れました。大きな崩れ! それを食い止める、幾つもの頑強な砂防施設が上空からも認識できます。唐松沢、葛葉を経て、来馬河原ヘリポートに着陸した頃には、私は身も心も疲れてグッタリしていました。 (美しい自然に恵まれたこの国は、同時に「崩れ」とともに存在しているのだ…)と、現実に触れ、愕然とする思いだったのです。 翌日は、陸路、扇沢から、黒部、室堂と立山黒部アルペンルートを辿りました。トロリーバス~ケーブルカー~ロープウェイ~トロリーバスと、雄大なパノラマをのぞみながらの乗り継ぎは実にスムーズで快適です。 英国では、こんなことは100パーセントありえません。必ず何処かで車両故障や運行ミスが起きて、この三倍は時間が掛かる事請け合いです。 |
| 大雪で、春には7.5mもの積雪があったそうですが、6月はじめの室堂平もまだ3メートル近い雪に被われていました。美しい立山三山を見上げつつ、立山自然保護センターから、弥陀が原を経て、立山カルデラ展望台にむかいます。日頃の運動不足を呪いつつも、ハアハア息を弾ませながら雪の斜面を登りきると突然視界がひらけます。 日本有数の荒廃地域・立山カルデラ。深閑とした木立の中に、小鳥のさえずりが幾重にも響き渡っています。このたとえようもない美しい自然と、そこに厳然と存在する「崩れ」の恐怖!私は再び溜め息をつくしかありませんでした。 トロッコ列車に揺られながら考えた『砂防の人々』 安政5年に飛越地方を襲った直下型地震は、常願寺川の源流部・鳶山を大崩壊させました。 4.1億㎏の土砂が崩れ落ち、大土石流となって常願寺川下流を襲い、富山平野に押し寄せて多くの人命を奪ったのです。立山カルデラには現在なお約2億㎏の土砂が堆積していて、常願寺川へ流出し続けているそうです。源流と河口の標高差が約3000mもある急流河川の、この『暴れ川』では、安政の大地震の後、洪水・土砂災害が年ごとに激しくなっていきました。 明治39年に富山県が砂防事業に着手しますが限界があり、大正15年に国の直轄砂防事業となりました。基本は『立山カルデラ内の膨大な不安定な土砂を移動させないこと』。『治水の根本は砂防である』と定義した「日本の砂防理論」の原点です。 常願寺川の砂防事業は今年100周年を迎えました。 私は、立山カルデラ砂防博物館を見学した後、この大工事をいまも支え続ける「立山砂防工事専用軌道・トロッコ」の乗客になりました。登録記念物のうち遺跡関係として全国ではじめて文化財登録されたばかりです。 38ケ所のスイッチバックをもつトロッコ列車は、狭い軌道を一生懸命に走っていきます。 立山砂防事務所のある千寿ケ原(標高475m)から、立山カルデラ内の砂防工事最前線基地・水谷出張所(標高1117m)までの18㎞を、工事現場で働く人々や砂防資材、機材を運ぶ為に使われてきました。この日は、除雪がまだ完了していないため、鬼ケ城連絡所までの往復でした。 常願寺川に沿って山腹を走るトロッコ列車に揺られながら、私はぼんやりと考えていました。(この100年間、いったいどのくらいの数の人々が「日本の砂防」のために心と身体を尽くして働いたのだろう。そのなかには、思わぬ事故で亡くなった方もいるだろうし、怪我をした方もいるだろう。世の中にはもっと気楽な仕事が沢山あるのに、多くの人々を厳しい現場に駆り立てる「砂防」というのは、彼らにとって、私達にとって、いったいどういう意味をも つのだろうか…)と。 勿論、そこに必要とされる砂防事業があり、それが砂防関係の人々の暮らしを支えていることも事実です。しかし、それだけでは計りきれない、人々の心と身体を揺り動かすなにか強い力を、私は「日本の砂防」に感じるのです。『人々の命や暮しを災害から守る』という砂防の基本ともいうべき使命感でしょうか…。吹き抜けの車窓からは、常願寺川を水嵩高く激しく流れる雪解け水が、陽の光に照らされてキラキラと輝いています。 科学性と美的意匠が融合されたとき、『SABO』は憧れの仕事に さて、私はいま、可憐な花々に彩られた初夏のロンドンでこの拙文を書いています。そして、あの日、上空から凍るような思いで見つめ続けた北アルプスの「崩れ」の光景を反芻しています。 「砂防」の基本を振り返る貴重な旅でした。大崩壊を眼前にして、『もうちょっと、自然に優しい美しいデザインにならないですかねえ』などと、砂防堰堤の設計に注文することの愚かしさも実感しました。自然災害との対峙は、そんな生易しいものではないのです。 しかし、それを承知の上で、私は、やはり注文したいのです。 『美しいものは機能的だ』という言葉があります。『機能的なものは美しい』というひともいます。 日本の砂防事業が優れた科学性と美的意匠を見事に融合させ、自然と共生したとき、「SABO」はもっともっと世界に認識され、憧れの仕事になることでしょう。国際的な存在になれば、国内で活動し易くなるのが我が国の常です。 「日本の砂防」を支える人々が、『自然破壊だ!』との誤解を受けて、現場で変な気兼ねをすることもなくなるでしょう。 観光地の厳寒期の河床での危険な作業も少しは緩和されるかもしれません。だって、人々の命と暮しを守る「日本の砂防技術」は、誇るべき最先端土木技術の集積なのですもの。もっと、堂々としていて良いはずです。 そのためにも、私は言い続けようと思います。『砂防堰堤、もうちょっと美しくなりませんかねえ…』と。 |