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土砂災害防災のフィールド一般の方々に、土砂災害とその対策について理解していただくこと、またその理解を通じて防災意識を醸成・維持していただくことは、簡単なことではありません。私たちが砂防の広報に携わって30年以上、これまでに培った経験と知識を多面的に活かし、様々な活動の支援や資機材の提供を行います。
砂防フィールド
コミュニティ
スタッフの取材記録などを交えつつ、土砂災害を克服してきた各地の活動紹介や情報提供を行っております。
この場を通じて新しい発見や様々な交流が生まれることができれば幸いです。
大正12年(1923年)9月1日に発生したの関東大震災による被害状況を受け、
延焼を食い止める防火帯の設置計画の一環として幅員の広い幹線道路の建設と並行して、
当時の東京市復興局公園課により防災用緑地の機能、災害時避難場所の確保、
あるいは震災復興のシンボルなどを目的として設置されたのが震災復興公園である。
その構成は、震災復興三大公園である東京の隅田公園、浜町公園、錦糸公園をはじめとして、
防火帯と避難施設の役割を持たせるために不燃化及び耐震化を図った
鉄筋コンクリートの校舎にした小学校に併設された52の小公園からなっている。
※一部ウィキペディアより引用
その第一回目としては、当センターにもほど近い日本橋小伝馬町にある十恩(じっし)公園。
この公園は52小公園のひとつで、江戸時代の伝馬町牢屋敷の跡地に設置されており、
その敷地内には、この地に収監され処刑された吉田松陰終焉の地としての記念碑等も建立されている。
中央には『身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂』なる松陰の辞世の句碑
日本橋石町に設置されていた『銅鐘 石町時の鐘』
この鐘が鳴るとともに松陰が処刑されたと言われる。
『忠魂碑』 『杵屋勝三郎記念碑』
その他、日露戦争の名将、野木希典の書による忠魂碑や、
長唄三味線方の名手、杵屋勝三郎記念碑等も建立されている。