  |
|
|
|
|
|
|
北海道南西沖地震
発生した日:平成5年(1993)7月12日、午後10時17分ころ
被害が大きかった場所:北海道奥尻島
地震の大きさ:マグニチュード7.8、最大震度5
被害:死者・行方不明者230人、全部こわれた建物601戸、焼けた建物192戸 |
|
平成5年7月12日の夜、北海道の日本海側にある奥尻島の北西沖を震源とする大きな地震が起こりました。
地震発生のすぐあとから午後11時すぎまでに、北海道から東北、北陸、山陰の日本海側の海岸に津波がおしよせました。とくに震源に近かった奥尻島では、地震のあと、5分もしないうちに高さ20m以上もある大津波がおしよせ、たくさんの家が流されてしまいました。また、地震でがけくずれが起こり、津波のすぐあとには火事も起こったため、奥尻島だけで198人もの死者・行方不明者が出ました。
この地震では、地震発生から5分後に最初の津波けいほうがでましたが、そのときにはもう、奥尻島は津波におそわれていたことになります。このことは、海に近い場所で地震を感じたら、ともかく少しでも早く、高い場所にひなんする必要があることを教えています。
|
|
|
 |
|
有珠山の噴火
発生した日:平成12年(2000)3月31日から約3か月間
被害が大きかった場所:北海道、有珠山のふもとの伊達市、虻田町、壮瞥町
被害:農業、漁業、観光業などに大きな被害 |
|
有珠山(うすざん)はむかしから何度も噴火をくりかえしてきた火山です。この300年ほどの間だけ見ても、10回も噴火しています。江戸時代の噴火では、火砕流が起こって多数の死者が出たこともありますが、この平成12年の噴火では、噴火の予知(前もって知ること)がうまくいったため、住民はいち早くひなんすることができ、人命の被害はありませんでした。これは、有珠山が噴火するときはたいてい、少し前から地震が多くなるというとくちょうがあるため、予知がしやすかったことがあります。
噴火は約3か月続き、大量の火山灰がまわりの町や田畑につもりました。このあたりは洞爺湖を中心とする観光地ですが、旅館は営業できないし、観光客もこられなくなったため、観光業は大きな被害を受けました。また、灰がつもった田畑は使えなくなりました。灰は海にもふったため、ホタテの養殖など、漁業にも大きな被害が出ました。
なお、虻田町(あぶたちょう)にある虻田町立火山科学館では、有珠山の噴火について、もっとくわしく知ることができます。
|
|
 |
 |
洞爺丸台風
発生した日:昭和29年(1954)9月26日
被害が大きかった場所:北海道函館市、岩内町
被害:死者・行方不明者1761人、こわれた建物・流された建物20万7542戸、水につかった建物10万3533戸 |
|
「洞爺丸(とうやまる)台風」という呼び名は、この台風で当時の国鉄(現在のJR北海道)の青函連絡船(青森と函館を結んでいた定期船)の「洞爺丸」がてんぷくして、たくさんの乗客がなくなったことからつけられました。
昭和29年9月26に鹿児島県の大隅(おおすみ)半島に上陸した台風は、時速100kmのものすごいスピードで九州や中国地方を抜け、日本海を北へ進みました。この台風で、日本海側では毎秒25m〜30mという強い風が吹いていましたが、ちょうど台風が北海道の南側にさしかかった午後6時〜7時ころ、風が急に弱くなりました。そこで、函館の港で風のおさまるのを待っていた洞爺丸は、もうだいじょうぶだろうと、港を出発したのです。ところが港を出て20分後に、船はふたたびはげしくなった風で進めなくなり、そこにいかりを下ろしました。そうするうちに、高い波で船に海水が入り、ついに船はひっくり返しになってしまいました。その結果、1139名もの乗客・乗員がなくなったのです。
またこの台風では、強風が原因で北海道の岩内町で大火事が起こり、町の80%が焼けてしまいました。
|
|
 |
 |
真室川災害
発生した日:昭和50年(1975)8月6日
被害が大きかった場所:山形県真室川町
被害:死者5人、こわれた家92戸 |
|
山形県を流れる真室川(まむろがわ)は、最上川(もがみがわ)の上流で枝分かれした川のひとつです。
昭和50年の8月、山形県北部、鳥海山の南側一帯で集中豪雨(はげしい雨が、短い時間やせまいはんいにまとまってふること)がありました。この雨で真室川の上流の谷川ではいたるところで土石流が起こりました。その土石流の一つが、奥羽本線の大滝駅にとまっていた列車をおそい、車両が脱線して多くの被害者が出ました。真室川町の中心部でも、町を流れる真室川、小又川、鮭川があふれ、川ぞいの家や田畑をおしながしてしまいました。
なお、山形県の立川町にある、砂防資料館では、真室川災害についての資料を展示しています。
|
|
 |
|
|
北信越災害
(平成7年7月11日梅雨前線豪雨)
発生した日:平成7年(1995)7月11日
被害が大きかった場所:長野県・新潟県の姫川ぞいの市町村
被害:こわれた建物151戸、床の上まで水につかった建物123戸、ほかに鉄道や道路の被害が大きく、JR大糸線は2年4か月にわたって使えなくなった。 |
|
平成7年7月11日、北陸地方から長野県の北部にかけての一帯は、梅雨の大雨にみまわれました。11日の昼過ぎからかみなりを伴ったはげしい雨になり、ふり始めてからの雨量は、小谷村(おたりむら)、白馬村(はくばむら)などの多いところで300ミリをこえました。
もともと、長野県の北部から新潟県にかけて、姫川が流れるあたりは、地質や地形の関係で土砂災害が起きやすいところです。そこへ大雨がふったため、土はいっそうくずれやすくなり、125か所で地すべり、26か所でがけくずれが発生しました。
くずれた土は雨とまじって土石流となり、谷を流れ下りました。こうして、たくさんの家や田畑、道路や橋などが土石流に流されてしまいました。また、谷川からの土砂まじりの水が一気に流れ込んだ姫川は、水がものすごい勢いで流れ、川岸が大きくけずられてしまいました。川にそって通るJR大糸線は、線路の下の土がけずられて、すっかり使えなくなりました。大糸線がもとどおりになるまでには2年4が月もかかりました。
この北信越災害では、さいわい人命の被害はありませんでした。しかしこの次の年(平成8年)の12月6日、長野県小谷村の蒲原沢(かばはらざわ)というところで、北信越災害の復旧工事をしていた人々が、とつぜんおそってきた土石流にまきこまれ、14人もの命がうばわれるという二次災害が起きています。
|
|
 |
|
|
能生町なだれ災害
発生した日:昭和61年(1986)1月26日
被害が大きかった場所:新潟県能生町
被害:死者13人、けがをした人9人、こわれた建物10戸 |
|
昭和61年1月26日、新潟県能生町(のうまち)の柵口(ませぐち)地区でなだれが発生しました。民家の裏山に積もった新雪が一気にくずれ、11戸の家を直撃(ちょくげき)したのです。深夜だったため寝ていた人が多く、にげるまもなく13人もの命がうばわれました。これは、戦後に起こったなだれ災害としては最大のものです。
なお、能生町には平成6年(1998)に能生町雪崩(なだれ)資料館がつくられました。ここでは、昭和61年の災害のようすや、なだれが起こるしくみなどを説明した展示を見ることができます。
|
|
 |
 |
平成10年8月末豪雨災害
(栃木・福島豪雨)
発生した日:平成10年(1998)8月26日〜27日
被害が大きかった場所:栃木県、福島県
被害:死者・行方不明者25人、こわれた建物・流された建物486戸、水につかった建物1万3924戸 |
|
平成10年の8月26日から31日にかけて、東北地方の太平洋側から関東、静岡県の広いはんいで、はげしい雨がふり続きました。これは、日本列島にいすわっていた前線(冷たい空気のかたまりと、暖かい空気のかたまりが接するところ。前線があるところでは雨がふる)に向かって、太平洋側にあった台風から暖かく湿った空気が流れ込んだことが原因でした。雨は特に、福島県と栃木県の県ざかいではげしく、栃木県那須町(なすまち)では、26日からの5日間で、いつもの年の1年ぶんの雨の3分の2という大量の雨がふりました。
この雨で、那須町を流れる余笹川(よささがわ)の堤防が切れ、家が流されて6人がなくなりました。余笹川は、ふだんは川はばが3〜4mの小さな川ですが、大雨でところによっては100mものはばになり、まわりの家や田畑をおし流しました。乳牛約300頭も流されてしまいました。
また、福島県の西郷村(さいごうむら)では27日朝、県の社会福祉施設「からまつ荘」の裏山がくずれ、建物が土でうまったため、部屋で寝ていた障害者5人が命を落としました。
|
|
 |
|
|
カスリーン台風
発生した日:昭和22年(1947)9月14日〜15日
被害が大きかった場所:関東地方、東北地方
被害:死者・行方不明者1930人、こわれた建物・流された建物9298戸、水につかった建物38万4743戸、こわれた堤防4222か所 |
|
台風には、強い風が吹く「風台風」と、雨がたくさんふる「雨台風」とがありますが、カスリーン台風は典型的な雨台風です。それほど大きな台風ではなかったのですが、関東地方や東北地方に記録的な大雨をふらせました。
この雨で関東平野を流れる利根川(とねがわ)や荒川(あらかわ)は水かさがふえ、水の勢いで川の堤防があちこちできれて、あふれたどろ水が町をおそいました。埼玉県の荒川沿いの町や、東京の葛飾(かつしか)区、江戸川区などは、一面どろの海のようになりました。鉄橋や道路も各地で流されました。
北へ向かった台風は、東北地方でも強い雨をふらせました。北上川をはじめとする川の堤防がきれ、岩手県や宮城県の土地が低いところでは、田畑がどろ水をかぶって、農作物はほとんどぜんめつしました。
この台風は、戦争が終わってまだ間もなく、災害への備えも十分でなかったころに起こった災害だったため、今では考えられないような大きな被害が出てしまいました。この災害をきっかけに、洪水を防ぐためのダムや、遊水池(洪水のときに川の水を一時的にあふれさせるところ)の建設が進められるようになりました。
|
|
 |
|
|
狩野川台風
発生した日:昭和33年(1958)9月26日〜28日
被害が大きかった場所:東海地方(特に伊豆半島)、関東地方
被害:死者・行方不明者1269人、こわれた建物・流された建物1万6743戸、水につかった建物52万1715戸
|
|
狩野川(かのがわ)台風はその名のとおり、静岡県の伊豆半島を流れる狩野川の上流に大きな被害をもたらした台風です。風はそれほど強くなかったのですが、狩野川上流の中伊豆地域でははげしい雨がふり続き、温泉地として知られる湯ヶ島(ゆがしま)では、1日に750ミリ近い雨が観測されました。
川の水が急に増えたため、狩野川とその支流では合わせて10か所で堤防がこわれてしまいました。山間部ではがけくずれが次々におきました。そして、くずれた土や倒された木が谷川の水といっしょになり、土石流となって温泉地をおそいました。これによって中伊豆地域では、観光客も含めて800人以上の人がなくなりました。
この台風のあと、狩野川では川の流れを整えたり堤防を強くしたりする工事が行われ、水をすばやく海へ流すための水路などもつくられました。
また、狩野川台風は東京や神奈川にも大きな災害をもたらしました。特に神奈川県の横浜市や川崎市では、新しく山を切り開いてつくった住宅地でがけくずれが起き、多くの住宅がおしつぶされて死者が出ました。そこで、この災害をきっかけに、住宅を建てる場所を制限する決まり(「宅地造成等規正法」)がつくられました。
なお、伊豆長岡町にある狩野川資料館では、狩野川台風についてくわしく知ることができます。
|
|
 |
 |
三宅島の噴火
発生した日:平成12年(2000)7月8日に最初の噴火。噴火は今も続いている。
被害が大きかった場所:東京都三宅島
被害:火山灰や、火山灰が原因の泥流で家や農地がうまり、ほとんど人が住めない状態になった。島民は全員、島をはなれてひなん生活を送っている。
|
|
東京都の伊豆諸島の一つ、三宅島は、火山が噴火してできた島です。三宅島の火山(雄山)は、20世紀になってからだけでも、昭和15年(1940)、37年(1962)、58年(1983)とほぼ20年おきに噴火しています。
平成12年の噴火では、まず6月末ころから地震の回数がふえはじめ、噴火の危険性が高まってきたため、住民の多くが島内の学校などにひなんしました。その後、いったん地震がおさまり、危険はなくなったと思われたのですが、7月に入るとまた地震がふえ、ついに7月8日、雄山が噴火しました。噴火がしだいに激しくなったため、東京都は9月1日、島民全員のひなんを決め、9月4日までに3000人ほどの島民が、東京都あきる野市などにひなんしました。
現在の三宅島の噴火は、はじめのころのようにはげしくはありませんが、まだ完全にはおさまっていません。とくに、火山から有毒ないおうのガスが出ているため、人は住めない状態です。島民はずっと、ひなん先で不自由な暮らしを続けています。
|
|
 |
 |
伊勢湾台風
発生した日:昭和34年(1959)9月26日〜27日
被害が大きかった場所:伊勢湾のまわりの市町村、特に名古屋市
被害:死者・行方不明者5098人、こわれた建物・流された建物83万3965戸、水につかった建物36万3611 |
|
伊勢湾(いせわん)台風は、昭和9年(1934)の室戸(むろと)台風、昭和20年(1945)の枕崎(まくらざき)台風とともに「昭和の三大台風」と呼ばれるほど大きな被害を出した台風です。
この台風でいちばん被害が大きかったのは名古屋市で、伊勢湾にそった地域を中心に、合わせて1900人以上の死者が出ました。その大きな原因になったのが高潮(たかしお)です。
高潮は、海の表面が高くもりあがるげんしょうです。台風が近づいて気圧が下がると、海面はすい上げられたようにもりあがります。そこへ強い風が陸に向かって吹くと、出口のない湾の中では海面がどんどん高くなります。伊勢湾台風では、台風が通った時刻と満ち潮の時間が重なったため、伊勢湾の海面は、ふだんより6m近く高くなっていました。この海の水が高さ5mもあった堤防をのりこえて、陸地をおそったのです。たくさんの家や工場が水に流され、多くの人がおぼれてなくなりました。
この台風をきっかけに、あらためて、台風など自然災害への備えが大切であることが分かり、国土や国民の命・財産を守ることを目的とした「災害対策基本法」という法律がつくられました。
|
|
 |
|
|
福井地震
発生した日:昭和23年(1948)6月28日
被害が大きかった場所:福井県福井市を中心とする福井平野
地震の大きさ:マグニチュード7.1、最大震度6
被害:死者・行方不明者3767人、全部こわれた建物3万3614戸、焼けた建物3851戸 |
|
福井地震は、福井平野の真下を震源とする地震です。この地震で福井市では、全部の建物のおよそ80%が全壊(全部こわれること)してしまいました。これは、福井平野が、九頭竜川(くずりゅうがわ)が運んできた砂が積もってできた、地面のあまりじょうぶでない土地だったことと関係しています。また、地震で火事も起きたため、たくさんの家が燃えてしまいました。
この地震で、鉄橋が落ちたり線路がまがったりしたため、北陸本線は2か月間も通れなくなりました。また、地面にわれめが入って田んぼの水がぬけてしまったため、稲作ができなくなるなど、産業や経済の面でも大きな被害が出ました。
|
|
 |
 |
昭和58年7月豪雨災害
(山陰豪雨)
発生した日:昭和58年(1983)7月22日〜23日
被害が大きかった場所:島根県、山口県
被害:死者・行方不明者117人、こわれた建物・流された建物3669戸、水につかった建物1万7141戸 |
|
昭和58年は、梅雨の時期になっても雨が少ない年でした。ところが7月の終わりごろになって、急に梅雨前線の活動が活発になり、各地で大雨がふりました。
特に島根県と山口県を中心とした山陰地方では、21日から23日にかけて、いままで記録したことがなかったようなはげしい雨にみまわれました。
この雨で、各地でがけくずれが発生しました。その数は、全部で2709か所にもなります。
家の裏側の斜面が突然くずれ、家がうまって死者が出たところがたくさんありました。その後の調査で、がけくずれの起きた場所の多くは、もともと地質がじょうぶでないうえに、雨や風にさらされて大変くずれやすくなっていたことがわかりました。ここに一度にたくさんの雨がふったため、地面がぐずぐずになってくずれてしまったのです。
この災害では、道路、鉄道、電信なども大きな被害を受けました。また、災害後、電話が殺到して電話回線がパンクしてしまったため、日本では初めてのこころみとして、人工衛星(えいせい)を利用した緊急回線を設置しました。
|
|
 |
|
|
阪神淡路大震災
(兵庫県南部地震)
発生した日:平成7年(1995)1月17日、午前5時46分
被害が大きかった場所:兵庫県神戸市、淡路島
地震の大きさ:マグニチュード7.3、最大震度7
被害:死者・行方不明者6435人、全部こわれた建物10万4906戸、焼けた建物7483戸
|
|
一般に、震源地が海の下ではなく陸地の下にある地震のことを直下型地震といいますが、阪神・淡路大震災(気象庁はこの地震を「平成7年兵庫県南部地震」と名づけました)は、建物や人口がみっしゅうした大都市で直下型地震が起きた場合、どれだけ大きな被害になるかを人々に見せつけた災害でした。
この地震では、木造の家だけでなく、じょうぶだと思われていた鉄筋コンクリートの建物もたくさんくずれてしまいました。また、高速道路も橋脚がおれて、横倒しになりました。
地震が起きたのが早朝だったため、多くの人がまだ自宅で寝ていました。そのため、くずれた家や倒れてきた家具の下じきになってなくなった人がたくさんいました。その数は、死者全体の90%近くになるといわれています。さらに、地震発生後、神戸市内の20か所以上で火災が起こり、被害を大きくしました。
神戸の六甲山地は、もともとくずれやすい地質の山地ですが、この地震によって各地でがけくずれや地すべりが発生しました。また、海岸のうめたて地では、地面の砂が水といっしょになってふき出してくる「液状化(えきじょうか)」というげんしょうがおこり、建物がかたむいたり、しずんだりしました。
ガス、水道、電気など、市民生活を支える施設もこわれ、これらが元どおりになるまで、電気は1週間、ガスや水道は3か月もかかりました。また、家を失った人はひなん所や仮設住宅(とりあえず暮らすための家)で暮らしましたが、最後の仮設住宅がなくなったのは、震災から4年後のことでした。
なお、淡路島の北淡町(ほくだんちょう)には、この地震であらわれた野島断層(断層とは地層や岩石の割れ目にそって、両側の地面がずれたところ:くわしくは「地震」の『断層と地震』を見ましょう)を保存する北淡町震災記念公園があります。また、地震で起こった地すべりについては、神戸市の仁川百合野地区(にかわゆかりのちく)地すべり資料館でくわしく知ることができます。
|
|
 |
|
|
仁淀川災害
発生した日:昭和50年(1975)8月16日〜17日
被害が大きかった場所:高知県
被害:死者・行方不明者68人 |
|
四国の最高峰、愛媛県の石鎚山(いしづちさん:1982m)から流れ出して土佐湾に注ぐ仁淀川(によどがわ)は、高い山から一気に流れ下ってきて、高知平野に出たところで急に流れがゆるやかになります。この高知平野で仁淀川は、日下川、宇治川、波介川などと合流しますが、これらの合流する川は、いずれも平野を流れるゆるやかな川です。このため仁淀川では、上流で大雨が降ると、水が一気に川を下り、仁淀川の下流ばかりか、これらの支川(枝分かれしている川)もいっしょにあふれてしまうという性質があります。
昭和50年の仁淀川災害のときも、台風5号による大雨で、仁淀川の堤防が切れたほか、日下川、宇治川、波介川などもあふれて、高知平野の広いはんいで住宅や農地が水につかる被害が出ました。また、上流部を中心にがけくずれ、土石流が起こり、68人もの死者・行方不明者がでました。
|
|
 |
|
|
広島豪雨災害
(福岡・広島6月豪雨)
発生した日:平成11年(1999)6月29日
被害が大きかった場所:広島県、福岡県
被害:死者・行方不明者40人、こわれた建物・流された建物615戸、水につかった建物1万2453戸 |
|
平成11年6月23日から7月3日ころにかけて、西日本から北日本にかけての広い範囲で梅雨の大雨がふり続きました。特に広島県では、南部の広島市や呉市で1時間に73.5mmというはげしい雨を記録しました。
広島県の南部は、もともと水を含むとくずれやすい地質である上に、かたむきの急な斜面が多いという、土砂災害を起こしやすい地域です。そこへはげしい雨が何日もふり続いたため、山地や丘陵(低い山)など、およそ300か所でがけくずれや土石流が発生しました。また、広島市などでは近年、人口がふえたため、丘陵地にも住宅がたくさん建てられるようになっていましたが、このような場所で団地のうしろの山がくずれ、団地内に土石流が流れこんだところもありました。
なお、この大雨は、福岡県にも大きな被害をもたらしました。福岡市の中心部では、短い時間で大量にふった雨の水が地下鉄の駅や地下街に流れ込み、ビルの地下でおぼれてなくなった人もいました。
|
|
 |
|
|
雲仙普賢岳噴火
発生した日:平成2年(1990)11月17日からおよそ4年半
被害が大きかった場所:長崎県島原市、雲仙普賢岳の東側の町村
被害:死者・行方不明者44人、全部こわれた建物・焼けた建物1442戸
|
|
平成2年11月17日、雲仙普賢岳(うんぜんふげんだけ)が198年ぶりに噴火しました。このまえ噴火したのは江戸時代の寛政4年(1792)のことですが、このときは噴火による地震で島原の町のうしろの山がくずれ、土にうまって約1万人もの人がなくなりました。また、海にたくさんの土が落ちたため島原半島の対岸、今の熊本県に大津波がおしよせ、5000人がおぼれてばなくったいわれます。
平成2年の噴火は、はじめはそれほどはげしいものではなかったのですが、翌年(平成3年)になると急に火山の活動が活発になり、火砕流(かさいりゅう)がたびたび起こるようになりました。そしてついに6月3日、ひじょうに大きな火砕流が2度にわたって起こり、ふもとの山林や住宅が焼けてしまいました。このとき、噴火にそなえて住民をまもっていた消防団員や、噴火を取材していた新聞社・テレビ局の人などがまきこまれ、43人がなくなりました。
ふりつもった火山灰は、こんどは雨がふるたびに土石流になって、ふもとの家々におそいかかりました。特に平成5年の4月から8月にかけては大きな土石流が何度も起こり500戸以上の家が被害を受けました。
普賢岳の噴火は平成7年に入るとおさまり、ほぼ危険はなくなりましたが、4年半に及ぶ噴火で、人々は田畑や家を失い、大変な苦労をしました。
いまも普賢岳のまわりには、たくさんの火山灰が積もっているため、土石流に備えて砂防えん堤などをつくる工事が続いています。
なお、島原市の雲仙普賢岳資料館では普賢岳の噴火について、大野木場砂防みらい館では普賢岳の砂防工事についてくわしく知ることができます。
|
|
 |
|
|
鹿児島豪雨災害
(平成5年8月豪雨)
発生した日:平成5年(1993)8月6日〜7日
被害が大きかった場所:鹿児島県
被害:死者・行方不明者79人、こわれた建物・流された建物824戸、水につかった建物2万1987戸 |
|
平成5年7月31日から8月7日にかけて、九州地方は記録的な大雨に見まわれました。特に鹿児島市では、6日の1日だけで259mmというはげしい雨がふりました。このため市内の中小河川があふれ、たくさんの橋が流されたほか、各地で土石流が発生しました。病院のうしろの谷で土石流が発生し、入院患者や住民13人がなくなるという被害も出ています。
一方、JR日豊線の竜ヶ水(りゅうがみず)駅付近では、土石流が国道10号線と日豊線を直げきしました。竜ヶ水駅は海ぎわにあり、駅のうしろは山になっていますが、ここから次から次へと土石流がおそってきたのです。この土石流で、地域の住民や列車の乗客、それに車を運転していた人など、およそ2500人がにげられなくなり、フェリーや漁船で助け出されました。
|
|
 |
|